私の箱物語

「ごめんなさい」は?

道の駅の駐車場でナビのセットをしていた。

前向きに止めた車の中で、帰り支度をしていた時の事。
隣にバックで駐車してきた車の方が下りてお店へ向かう際、
体が私の車のミラーにぶつかった。

私は驚いて顔を上げ「すみません」という言葉を、
無意識に待っていた。













ここで驚きの事態が起こる。



そのオッサンは車の中の私に向かって、
両手を右や左に上や下にせわしなく動かし、
何かしらの表情も交えて訴え始めた。


お前はチャップリンか。


唖然としてその様子を見ていると、どうやら
「あなたが右寄りに駐車をしているせいで、通路が狭くなっているから当たってしまった」
と言っている。




はぁ?!




私は憮然とした顔でオッサンを見上げる。
するとまた身振り手振りで同じようなことを訴え、
しまいには声に出して「降りてきて見てん!」と言う。




アホか。



完全にアホや。



チャップリンやない。アホや。



何で一言「すみません」って言えんのんや。
そんじゃ、なにか?
通路が狭くなってたら当たっても当然や言うの?
そんなら歩道からはみ出して歩いている歩行者は、
はねてもいいってことになるやんか!!
箱のファシリテータやけど言わせてもらうわ!
だいたい「狭くなってる」って言うけど、
ドア開けてこっち側から降りて来とるやん!
狭くて通れんのんやったら、反対側通らんかい!!
ええ歳したオッサンのクセに恥ずかしくないんかい!
なんで「ごめんなさい」って言えんの?
アナタ「ごめんなさい」言うたら、死んでしまうとかの病気なん?


今回ばかりは、私は何も悪くない!(たぶん)
ただ駐車場に止まっていただけだし、(駐車場の石ころと同じ)
何もしていないし何も言っていない。(オーラは出したかも・・)



怒りが

最高潮に

達した。

次の瞬間

私は・・・



「フンッ」ってした。



「フンッ」って、小学校以来ね。



次に顔を上げた時には、オッサンはもういなかった。




腹立つわぁ。
どうにかして謝らせることはできなかったのかと考える。
それも「はいはい、すいませんねぇ」とかじゃなくて、
ちゃんと反省して欲しい。

運転しながら、考えた。

そして思いついた方法は、
方法1:道理を解く
自分のしたことがどんなに恥ずかしいことかを、冷静に淡々と説く。
方法2:感情に訴える
もし、今の行動をあなたの子供が見ていたとしたら、どんな気持ちになるか、
同じことを、あなたの子供がしたとしたら、あなたはどんな気持ちになるか、と問う。
方法3:現場検証する
本当に通れないほど狭かったのか検証し、それほどでもなかったことを証明する。



アホくさ。

これじゃ、こっちも同じレベルのアホやないかい。



どうすればいいのか。



自分の心が敵対的な場合、
難しい物事向き合うことは不可能で、
自分に非がないと考えられることにおいても、
相手から謝罪を引き出すことはできない。

ただ腹を立てて相手を罵倒して著しく感情を害され、
どんなに相手が理不尽であったかを、
友達やメルマガで訴える他に手立てはない。

この選択は、私を無力な存在にする。


もし私の心が敵対的ではない在り方を選択することができたなら。
そして、
「狭くなっていましたか?すみませんね。お怪我はなかったですか?」
と、もし言えたとしたら。

相手から心地よい反応を引き出す可能性は「0」じゃなくなる。
謝らないかもしれないが、相手は自分の行為を恥ずかしいと思うかもしれない。
気まずい気持ちになるかもしれない。

なぜなら、人には等しく良心が存在するから。

「謝ってもらう」ことが目的なら、こっちの方が適切な行動だ。
なにより自分の精神衛生上、こっちの方が相応しい。


申し訳ないと反省したり詫びる気持ちというのは、
物事の正誤とは別のところにある。
たとえ100%相手に非があったとしても、
それを決めるのは常識や正論ではなく感情だ。

どんな場合においても、
相手の反応は自分の心が平和であるかにかかっている。

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