相手を見る目と自分を見る目

関心があるのは自分のこと

次に確認したいことは、あなたの自分自身に対する見方についてである。相手を見る目は歪んでいる可能性が高かったが、自身を見る目はどうだろう。

あなたはいい上司だろうか。頼りがいがあって優秀なリーダーだろうか。優しく思いやりがある夫や妻だろうか。それとも懸命に尽くしているのに報われないとか、誰も自分のことをわかってくれないなどと感じているだろうか。

あなたは上司や部下や妻・夫にあれこれアプローチすることがあるだろう。そうやって自分が相手に関心を持っているかのように接する時、あなたが本当に関心を向けているのは誰なのか。相手だろうか、それとも相手の目に自分がどう映っているかなのか。
頼りがいがある優秀なリーダーであること、優しく思いやりのある夫・妻であることは、とても素晴らしいことである。しかし、自分自身をそのように見て行動するとき、あなたが考えているのは相手のことではなく、自分がそのように見られているかどうかが最大の関心事であるはずだ。
なぜならあなたは、相手や周りが「私はいい夫・妻である」という自分のイメージ通りの反応をしなかったら腹を立てているからだ。
例えば、たまには家事を手伝おうと洗濯物を畳んでおいたとき、帰宅した妻に「今度はもう少しきれいに畳んでね」と言われたら、あなたはどう反応するか。
きっと「疲れているのにしてやったのに」とか「感謝もできないヤツ」などと腹を立てるのではないか。
あまり良くない自身の評判を耳にしたとき、あなたの心は穏やかでいられるだろうか。
おそらく相手は「私のことをわかっていない」とか「正当に評価されていない」と被害者的意識になるのではないだろうか。

いつでもどこでも優秀な自分

あなたは他の人に関心があるように装いながら、実は自分がどう見られているかということが一番に気になっている。大切にしていることは相手を手助けすることではなく、自分のイメージを守ることなのではないだろうか。
自身で作ったイメージはその場だけに留まらない。例えば職場で「自分は優れている」というイメージを持ったとすれば、それは職場を離れても持ち続ける。
家に帰って妻や夫、子供に対して、初対面の人に対しても「自分は優れている」と思い続け、そのように振る舞う。自分が優れているとすれば相手は自分より劣っているということになる。正確には劣っていなければならなくなる。自分は優秀だと評価され続けなければならないのだ。

そうなると相手の優れている点は見えなくなるし、必然的に悪いところが目に付くようになる。そうしていれば自分の優秀さは保たれる。相手の失敗やミスを見つけては「やっぱり自分の方が優秀だ」と再確認する。
アンテナを張ってそう認識できる情報を常に収集し、その結果、それはより強いイメージとして備わっていく。とても立派で素晴らしい自画像を描き上げ、その誇大化されたセルフイメージを自分だと思い込み、自身を見る目が歪められていく。

もし、思い当たる節があるのであれば、これらのことが及ぼす影響についてもう少し考えてみたい。