No.14

腹立つわ!

「あなた、結婚もしてないし子供も育てた経験もないのに、
人間関係の問題なんてわかる訳ないでしょ。
その立場にならんと、その人の気持ちはわからんよ。」



ほぅ。



なるほどね。



言ってくれるやん。



じゃ何か?

あなたは結婚して子供もいるから、
人間関係の問題は全ておわかりになるとでも?!
子を持つ母親の気持ちは全部お見通しとでも?!


その立場にならないと解らないって言うなら、
シングルマザーの気持ちは解りませんよね?
結婚しても子供のいない人の気持ちはどうですか?


その立場にならんと解らんって言うなら、
誰の気持ちもわからんやないかい!!


だから、人には‘思いやり’って機能があるんや!
わからんから、でも分かりたいと願うから、
その機能を使って経験の差異を埋める努力をするんや!!


だいたいあんたが解った気になっとるのは、
相手の気持ちじゃなくて、
それを経験した時の自分の気持ちやろ!!




ってね、腹立ったのね。




すごーく腹が立ったから、よく考えてみた。



想像してみた。



経験したことないこと、思い描いてみた。



手足を失った人の気持ち、
原発事故で住む場所を奪われた人の気持ち。




わからなかった。




想像を超える不自由さや故郷への郷愁。



どんなに思い描いても、届いていない気がする。


手を失ってみないと、帰る家をなくしてみないと、
やっぱりわからない。




悲しかった。




悲し過ぎる。




立場や境遇が違って相手の気持ちが解らないから、
人との関係において‘ヒズミ’が生まれる。
問題が発生する。


妻と夫の間で。上司と部下の間で。国と国の間で。


でも相手の経験や立場全てを体験することなんてできない。

もし体験できたとしても、
わかるのはそれを経験した自分の気持ち。
自分がそう感じたから相手もそうだろうと。

結局、相手の気持ちを理解してる訳じゃない。




相手が解って欲しいと思っているのは、
自分が経験した痛みや苦しみや不運なんだろう。
どんなに大変だったか、
どれほど辛かったか、悲しい思いをしたか。


幸せな気持ちを解ってもらうのに、
そんなに苦労した記憶はない。
自分が幸せだから相手が解ってくれたかなんて、
むしろ気にならないのだろう。


しかし苦しみや痛みの感じ方は、個人的で多種多様。
想像することも共有することも難しい。
人の苦しみなんてどんなに想像したって余りある。





でも




やっぱり




‘思いやり’なんだろうなぁ。


「人を人として見るのは‘思いやり’の心。」
箱セミナーの冒頭に出てくる一節。


‘思いやり’。


あんまり簡単な言葉で、使い古された単語だから、
その言葉の示すものも矮小化されてしまっているが、
本来はもっと深遠な思考や行動を促している。


すべての人がこの‘思いやり’機能を最大限に発揮し、
相手の痛みを知ろうとした時、
世の中から争いがなくなるんだろうなぁ。