No.43

箱の中にいたとしたら、乗り越えられなかった

目が見えなくなるかもしれない。


経営者のEさんはドクターの言葉に激しく動揺した。片方の目が見えづらくなり眼科を受診したら、「難病」だと告げられ大学病院を紹介されたのだ。


不安が押し寄せる。


目が見えなくなった時のことを想像する。仕事は?お金は?次男は今年高校入学で、まだまだお金がかかる。何でこんな時に!?

第一自分はどうなる?もし両目が見えなくなったら?!働けないどころか食事や着替え、トイレさえもままならないではないか。


最初はこう思った。
これまで懸命に働いてきたし家族には不自由させないようにと十分に稼いでもきた。万が一世話をしてもらうような事になっても、それほど不合理な話でもないだろう。家族なんだし、こんなことになればそれも当然で仕方がないことだと。


そう思いを巡らす中で気がかりなのは長年箱に入って接してきた妻のことだ。
助けてくれて当然だと考えれば考えるほど、そうは思えなくなってくる。



男の子が二人。優しく良い子に育ててくれた。長男は部活でも本当にいい夢を見させてもらった。学校のこと家のこと地域の活動や自分の実家のことまで、何もかも妻任せだった。
自分は妻の人生に何一つ向き合ってこなかった。これまで自分がしてきた事してこなかった事を考えると、到底正当化できはしない。もうこれ以上の迷惑はかけられないという気持ちになる。視力を失うより命を失う方がいいとさえ思った。
今までにこれほどの後悔に包まれたことがあっただろうか。


仕事は自分の居場所であり不可侵な聖域だった。多くの時間を費やし色んなことを犠牲にしてきたと思っていた。なのに人生の一大事に悔いることは、仕事ではなく家族とのことだった。仕事を言い訳にしながら、とても長い間家族と向き合わないこを正当化していた。

もっと子供と遊んでやればよかった。妻のことも、もっと幸せにできたはずだ。
こんなことだから罰が当たってしまった。



どうしようもない気持ちを抱えたまま最悪の事態に備えて仕事を整理していく。
そして最後に残った通帳と印鑑。
信用できるのは誰か一体誰に任せればいいのかと散々考え、最後に辿り着いたのはやっぱり妻だった。

まさか自分の聖域を、事業のことも何も知らない妻に頼むことになるとは。しかもお願いしたところで引き受けてくれるとは限らないのだ。



今年に入りEさんには色んなことが起こった。

勉強は得意でなかった次男。受験の彼に義理の父が「神社に行ってきた」とお守りを持って訪ねてきた。80歳を超える義理の父。願掛けだからと片道2時間の距離を歩いて行ってきたと聞いた。


Eさんは次男が中学に入学すると同時に、塾に通い始めた時のことを思い出す。口に出した事はないが、どうせ兄と同じ高校に入れるわけはないのだから、無理せず最初から私立でいいじゃないか。3年塾に行っても通らなかったらお金の無駄じゃないか!?そう思っていた。
しかし、お金を出してやるとか塾に送ってやるとか、そういうことではなくて「自分ができることをする」とはこういうことなんだと気付かされた。自分が恥ずかしくなった。

それから毎日会社の帰りに神社に寄った。近くの墓にも寄って手を合わせる。最初の願いは合格だったが、続けるうちにそれはどうでもよくなった。思い返してみれば次男は部活も塾も両立させ良く頑張っていたではないか。結果がどちらにしても良く頑張ったと褒めてやりたい、そんな気持ちになった。


そして結果は、まさかの合格。奇跡的な出来事だった。



さらに病気が発覚する前、

「僕は変わろうと思うから」

そう奥様に伝えていた。
実はここ数ヶ月、奥様との関係改善に取り組んでいた。

「気付いたことがあったら言って欲しい。最初はムッとするかもしれないけど、ちゃんと受け止めるから。身近な人に言われると納得できる。僕は変わろうと思っているから」そう言ったのだ。


奥様は無言だったそうだ。気持ちを受け取ってくれたのか、どう感じたのかもわからなかった。でも気にならなかった。



そんなことがあった後の、この出来事。
Eさんは意を決して奥様に仕事を手伝って欲しいと伝えた。

「私にできるかいな」

と答えられたそうです。

なんと謙虚で労り深いものだろう。



病気発覚から2度目にお話しさせていただいた時
「最初は罰が当たったと思っていましたが、実は神様はこんな状態が作れるまで待っていてくれたのかもしれない、と思うようになりました。眼のことは本当に残念ですが得たものの方が多過ぎて、失ったものは無いように思います。
もし自分が箱の中に居たとしたら、病気のことは受け止められなかったし自暴自棄になっていたかもしれません。妻に病院に付き添ってほしいとも言えなかったし、次男や義理の父の想いや店を任せている店長の誠実さにも気付けなかった。箱の中にいたとしたら乗り越えられませんでした。」そうおっしゃっていました。

これからもEさんが幸せいっぱいでありますように!